全国ネットの漫才番組で度々出演され
ている実姉妹の海原やすよともこさん。
今回は海原やすよともこさんの
経歴や同期芸人、東京進出しない理由など
お二人の子供の頃のエピソードと共に
お伝えしていきたいと思います。
もくじ
海原やすよともこさんの経歴、
どっちが姉?妹?
出典元:https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=028
海原やすよともこさんは4才差の実の姉妹
(右)姉:海原ともこさん
1971年12月生48才、ボケ担当
元ジャニーズ男闘呼組の前田耕陽さんと
2006年にご結婚され2児の母親でもあり
ます。
梅宮アンナさんとは親友
細川たかしさんはライブに行くほどの
ファン。
(左)妹:海原やすよさん
1975年10月生44才、ツッコミ担当
2005年に当時オリックス・バファローズ
だった宮本大輔さんとご結婚。
海原やすよともこさんお二人揃って
韓流ファンでもあります。
▼海原名門一家
祖母、海原小浜さん(海原お浜・小浜)
父、海原かけるさん(海原かける・めぐる)
母、マジシャンワンダーのり子さん
更に母方の祖母にはワンダー天勝さんが
いらっしゃいます。
漫才師3世、サラブレッドの姉妹漫才師、
それが海原やすよともこさんのお二人です。
お二人とも潔癖症で、やすよさんは
極度の心配性なんだとか。
ともこさんは若手時代にやすよさんが
やりたがらなかった仕事をカバーしてくれ
ていたそうです。
思いやりのあるお姉さんですよね。
▼コンビ結成はやすよさん4才
ともこさん8才
何とコンビ結成はやすよさんがまだ
文字を読めなかった4才の頃なんです。
当時、祖母である海原小浜さんが所属
していた事務所の社長に薦められたこと
からコンビを結成したやすよともこさん。
週一のお稽古は文字が読めないやすよさんに
事務所の社長が台本を音読した後を同じ
ように声を出してたどって覚えていた
そうです。
ともこさんは楽しくしていた反面
やすよさんはやりたくなかったと、
中学の頃にお稽古を辞めてしまいました。
この時、やすよさんはボケ担当、
ともこさんがツッコミ担当で今とは逆を
担当されていたんです、意外ですよね。
▼デビューはやすよさん17才、
ともこさん21才
1992年海原やすよさん(17才)が
雨上がり決死隊に憧れて
海原ともこさん(21才)を漫才の世界に
誘います。
嫌になってやめた漫才をやすよさんから
誘ったんですね。
中田カウス・ボタンの中田ボタン師匠に
3年間弟子入り、デビューを果たします。
ネタは海原やすよともこのお二人と
構成作家の野々村友紀子さんと3人で
作成しています。
野々村友紀子さんは東京にお住まいで
大阪のお仕事は海原やすよともこさんの
漫才だけです。
▼東京進出しない訳
出典元:https://www.google.com/
漫才師と呼ばれたい
出典:https://www.sanspo.com/
2017年に漫才師の頂点とも言うべき
『上方漫才大賞』に二度目の受賞となった
席で海原やすよともこさんが語られた
言葉です。
最近でも全国ネットの漫才番組で、
漫才を披露されていますが、本格的に
東京進出していません。
漫才を27年間(2017)高めてきて
『女芸人』と呼ばれることにしっくり
こない気持ちがあると仰っています。
東京に行けば舞台以外のテレビの仕事も
増えるでしょうし、漫才の仕事が減って
しまう懸念もあると思います。
海原やすよともこさんの漫才はお二人の
経験を基に作られていることが多く、
面白さの中にもリアルな大阪の人達の
日常やお二人の姉妹としての関係が見え
ると関西では人気があります。
東京進出すると、漫才を見られなくなる
のでは?と淋しがるファンも
いらっしゃるでしょう。
▼経歴、主な受賞歴
海原やすよともこさんの
主な受賞歴です。
1994年今宮子供えひすマンザイ新人
コンクール香川登枝緒賞、
など新人賞6個を総ナメ。
2012年と2017年には関西漫才界の頂点
である上方漫才大賞を受賞されています。
現在まで計11個受賞(2021現在)
▼レギュラー番組
テレビ
・やすとものどこいこ!?(テレビ大阪)
毎週『お連れさん』のゲストを迎える
ロケ番組。
2012年から続くお買いものバラエティ
・やすとも・友近のキメツケ!※あくまで
個人の感想です(関西テレビ)
2018年から現在も放送中、『決め付け』
話を繰り広げるトークバラエティ。
・やすとものいたって真剣です
(朝日放送テレビ)
2020年4月から始まったばかりの番組、
毎週1組のお笑いビン芸人、コンビを
迎えて海原やすよともこが聞き手となり
ゲストのサクセスストーリーを語り合う
トークバラエティ。
※それぞれの動画は前週放送回のみ
配信期間は一週間。
ラジオ
・やすよともこのOFF MODE
(朝日放送ラジオ)
海原やすよともこさんの
同期に中川家苦楽を共にした仲
出典元:https://www.google.com/
海原やすよともこさんのお二人は
中田ボタン師匠に弟子入りしており、
NSC(吉本養成所)11期の中川家、
陣内智則さん、ケンドーコバヤシさんが
同時期デビュー組となります。
▼苦悩の若手時代
子供の頃のやすよさんボケ担当、
ともこさんツッコミ担当は弟子について
からも変わらず。
自分からやりたいとともこさんを漫才に
誘ったやすよさんでしたが、
舞台に上がってもなかなか漫才を楽しめ
なかった妹のやすよさん。
ある時、吉本の社員さんにボケと
ツッコミを交代してみるように
薦められます。
すると漫才に対する曇った
気持ちが晴れ、ツッコミという
ポジションで才能が開花、
ともこさんの軽快で勢いのあるボケと
やすよさんの冷静なツッコミの
しゃべくり漫才の原型が出来上がります。
▼2丁目劇場時代
実力をつけた海原やすよともこさんは
当時人気若手芸人が総出演していた
『2丁目劇場』の仲間入りをしますが、
弟子入りした海原やすよともこに
対してNSC出身の芸人さん達は反発して
楽屋はいつもピリピリしていたそうです。
「楽屋には本当に居場所がなかった。
居心地がよかったのは、舞台に立ってる
ときだけやった」
出典:https://www.ytv.co.jp/gold_retsuden/backnumber/20140419.html
後にお二人はそう話されています。
今では海原やすよともこさんが慕っている
先輩の一人でもあるメッセンジャーの
黒田さんも、実は当時は海原やすよ
ともこさんに辛く当たってたお一人…
若い時の意地が、気持ちをすれ違いに
させていたんでしょうね。
「ともこがやすよを子どものように
守ってた」
出典:https://www.asahi.co.jp/itaken/archive/202007.html
ちなみに海原やすよともこさんは
黒田さんを一番近い先輩と慕い、
黒田さんは海原やすよともこさんを
兄弟漫才には勝てないとお互いを
リスペクトし合う仲です。
やがて友達のたむらけんじさんを通して
少しづつ2丁目劇場のメンバーと距離を
縮めていった海原やすよともこさんの
お二人でしたが、苦難は続きます。
▼同期と過ごした苦悩の日々
吉本興業が出した2丁目劇場漫才禁止令
1997年、2丁目劇場は10代20代の若い
お客さんばかりで若い人には漫才は
難しいとの理由で新しく入った支配人
によって『漫才禁止令』が出されます。
ネタはコントのみで漫才は許されません。
海原やすよともこさんは、漫才でやって
いきたい同じ考えの中川家と共に2丁目
劇場を卒業。
また居場所を失ってしまいました。
仲の良い中川家と、一緒に吉本を辞める
話し合いまでしていた海原やすよともこ
のお二人は、、漫才で成功することを
望んでいただけあって大人が理不尽に
見えたのか人間不信に陥って
しまいます。
漫才ができる劇場に移ってから
劇場、漫才番組、慣れないロケ番組に
出演しながら、ネタバトル番組
『NHK爆笑オンエアバトル』で何度も
オンエアを勝ち取るなど着実に漫才で
人気と実力をつけていきました。
今の明るい海原やすよともこさんからは
苦難があったことは露にも思いません
でした。
名門一家に生まれても楽に行かせて
もらえないのが漫才の世界なのかも
知れません。
【一緒によみたい!】
まとめ
仲間と共に、姉妹で支え合って苦難を
乗り切った海原やすよともこさん。
これから何十年先も変わらない漫才
スタイルで爆笑をさらってくれるで
しょう。(^-^)
最後まで読んでいただいて
ありがとうございました。